道ばたに立って、思いついたことをつぶやいていると、
ときおり、頭を撫でながら、飴玉をくれる、とても優しい人がいることがある。
そういうときはうれしくて、うれしくて、
ついつい、飴玉をほおばってしまい、
口をもごもごとさせながら、あわててお礼をいう。
でも、
口をもごもごとさせているので、
お礼は不明瞭ではっきりと伝えられない。
優しい人はニコニコしてくれるけれど、
お礼をうまく言えないことがかなしくて、
口をもごもごさせながら、困った顔をしてしまう。
やがて、
口の中から飴玉がなくなる前に、
やさしい人は苦笑しながらどこかに行ってしまう。
どうやってお礼をしたらいいか、考えているうちに。
飴をすっかりなめおわったあとには、
もう優しい人はずいぶん先に行ってしまっていて、
おいかけてお礼を言うには遠すぎる。
なんだか、
とてももうしわけない、かなしいきもちになって、
そういうときにはしばらく散歩にでかける。
そういうときの散歩は、
たいがい、とても長く、つまらない。
ときおり、頭を撫でながら、飴玉をくれる、とても優しい人がいることがある。
そういうときはうれしくて、うれしくて、
ついつい、飴玉をほおばってしまい、
口をもごもごとさせながら、あわててお礼をいう。
でも、
口をもごもごとさせているので、
お礼は不明瞭ではっきりと伝えられない。
優しい人はニコニコしてくれるけれど、
お礼をうまく言えないことがかなしくて、
口をもごもごさせながら、困った顔をしてしまう。
やがて、
口の中から飴玉がなくなる前に、
やさしい人は苦笑しながらどこかに行ってしまう。
どうやってお礼をしたらいいか、考えているうちに。
飴をすっかりなめおわったあとには、
もう優しい人はずいぶん先に行ってしまっていて、
おいかけてお礼を言うには遠すぎる。
なんだか、
とてももうしわけない、かなしいきもちになって、
そういうときにはしばらく散歩にでかける。
そういうときの散歩は、
たいがい、とても長く、つまらない。
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たしかに、
いつもいる場所が水中のようなものだとするなら、
体調とか、気分とか、タイミングとか、
そういうものが揃っているとき、
充分に助走をつければ、
一瞬だけ、
跳ね上がって水面を俯瞰することができるだろう。
空中から俯瞰する水面は、
晴れていれば日光が反射して、
とても綺麗だし、
水中からとは違うふうに見える。
でも、羽も肺もないから、
そうしていられるのは一瞬だけ。
しかも、高く飛び上がればその分だけ、
落ちる時、深くまで潜ってしまうことになる。
そういうことを天秤にかけてなお、
飛び上がることにメリットはあるか。
それはたぶん、飛び上がった先の景色の素敵さによるだろう。
そのときの運もあるし、好みもある。
あるいは、常に水面ぎりぎりに住んでいて、
時折鼻先をそこに付けることができるほうが良いんだろうか。
でも、そういう状態の金魚は酸素が足りていないから、
すぐ病気になったり死んでしまったりする。
それに、そういう場所にすんでいれば、
飛び上がりたいと思った時には、
いったん深くに潜らなければいけない。
どっちもどっちですね。
「グインサーガ」の栗本薫さんが亡くなったらしい。
「グインサーガ」も未完のまま終わる。
黙祷。
「グインサーガ」も未完のまま終わる。
黙祷。
トンネルを潜れば、出口は良し悪しとは関係なく明るく見える。
無論、振り返れば入り口も同様に明るい。
無論、振り返れば入り口も同様に明るい。
忌野清志郎が亡くなったらしい。
忌野清志郎だから死なないかと思っていたけれど。
そうか、忌野清志郎でも死ぬんだ。
黙祷。
忌野清志郎だから死なないかと思っていたけれど。
そうか、忌野清志郎でも死ぬんだ。
黙祷。
lopadotemachoselachogaleokranioleipsanodrimhypotrimmatosilphioparaomelitokatake
chymenokichlepikossyphophattoperisteralektryonoptekephalliokigklopeleiolagoiosiraio
baphetraganopterygon
どこで切るか解らないから適当に改行。ほんとうなら一行で書きたかった。
意味は『鯔、脳髄、酢、蜂蜜、ピクルス、骨髄、アニス酒などの17種類からなる煮込み料理』らしい。(wikiより)
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どこで切るか解らないから適当に改行。ほんとうなら一行で書きたかった。
意味は『鯔、脳髄、酢、蜂蜜、ピクルス、骨髄、アニス酒などの17種類からなる煮込み料理』らしい。(wikiより)
ぼくたちの洗脳社会(岡田斗司夫)は良い本でした。
ここで言う良い本とは連想喚起力のある本のことです。
1995年に出た本なのに、今読んでもかなり新鮮な内容。
全文がネットで読めるので興味のある方は検索してどうぞ。
結局のところ記憶力が全てなのではないか、と思ってしまうことがある。
そしてそれは、たぶん、ある角度から見れば、充分に真理だ。
そしてそれは、たぶん、ある角度から見れば、充分に真理だ。
案外、色というものの優先順位は低い。
疲れていたり、極度に集中していたりすると、色は失われるからだ。